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2024.02.27 展覧会アーカイブ, 同時代ギャラリー展示, ギャラリービス展示, コラージュプリュス展示, 2024

【cool abstract exhibition】 yoshimi yoshimoto abstractart exhibition japan

場所:ギャラリー、ギャラリーBis、コラージュプリュス

会期:2024.2.27(tue) – 3.3(sun)

時間:12:00〜19:00(最終日は17:00まで、月曜休廊)

https://www.dohjidai.com/gallery/exhibition/a20240227

〜原田治さんの島のアトリエの夏休みにコラージュ指導を楽しく受けた思い出〜

抽象画はグラフィックデザインの仕事の傍ら、個人的な楽しみとして制作してきました。
興味が更に加速したきっかけは、デザインの師匠である原田治さんです。
わたしがアートディレクターを務め2001年から始まった京都の酒造会社ネットマガジンで展開した原田治さんの連載において、原田治さんの島のアトリエを撮影取材しつつ、弟子のわたしは抽象画・コラージュの手ほどきを受けました。
グラフィックデザインの指導は鬼教官でしたが、「絵」となると柔和な雰囲気に変わり、夏の陽射しを浴び、楽しく語らい(知識の圧倒量に気押され、わたしは聞くほかありませんでしたが)糊とハサミにカッターナイフ、アクリル絵具、水彩絵具、パステル、色鉛筆を使って。
合評時間は椰子の見えるバー。BGMはコールマン・ホーキンスやちあきなおみや石川さゆり。「パレットクラブって名付けたの、ペーター(ペーター佐藤さん)なんだよね」と呟かれる原田さんと煎茶を呑みながら…。
ひとしきり遊んだ後は、わたしが昼メシ当番や晩メシ当番を担当して(「美味いね、ヨシモト」が嬉しかったな)又試作を重ね続けました。 Summer training Days、
そんな思い出を詰め込んだ個展[cool abstract]を行います。
裏テーマは「喪失と再生」です。
わたしが20代初め頃に出会い、長きに渡り親交を深めた原田治さんは故人となりました。
多大に影響を受け、共に過ごした時間が長いほど、自分の一部を失ったように感じます。
「誰かと過ごした思い出や記憶」の中に「わたし」がいて、それが自分自身を形作るから、喪失感が生まれるのでしょう。
自分にとって特別だった出来事を覚えている人がいない、共有できないのは辛く悲しいことです。そして原田治さんを知るわたしの家族も相次いで亡くなってしまいました。
そして数年が過ぎ、ルイーズ・グリュックの詩『野生のアイリス』の一説にある “At the end of my suffering there was a door.〈苦しみの終わりに 扉があった。〉” という心境に変わりつつある自分がいました。
「悲しい、寂しい、わたしも死んでしまおう」ではなく、そこから出て生へ向かう扉、明かりの方向へ進んでいく。
「原田治さんと過ごした思い出や記憶」を、作品を通し誰かと共有することで喪失の先にある扉を見出せるのかもしれない。今、そんなふうにわたしは思います。

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吉本義巳(よしもとよしみ)

京都出身。美大卒業後、 広告代理店や百貨店に務め、フリーのグラフィックデザイナーに。20歳ごろよりイラストレーター・デザイナーの原田治氏に師事。マガジンハウス出版物での連載や新潮社刊行物や販促物でデザイン・挿絵・挿画などを担当。各美大各専門学校の講師を務めつつ、 個人事務所を設立、 グラフィックデザインやエディトリアルデザイン、プロダクトデザインや店舗デザインまで手がける会社として法人化。現在京都を拠点とするdesign studio paperweight株式会社代表取締役。

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歌人 高田ほのか

大阪出身、在住 短歌教室ひつじ主宰 関西学院大学文学部卒 未来短歌会所属 テレビ大阪放送審議会委員
「さかい利晶の杜」に与謝野晶子のことを詠んだ短歌パネル展示
小学生のころ少女マンガのモノローグに惹かれ、短歌の創作を開始
短歌の世界をわかりやすく楽しく伝えることをモットーに、短歌教室、講演、執筆活動を行う
著書
『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)
『ライナスの毛布』増補新装版(書肆侃侃房)
『100首の短歌で発見!天神橋筋の店 ええとこここやで』
『基礎からわかるはじめての短歌』(メイツ出版)
連載
「短歌で見つける経営者の心」(産経新聞)
「ゆらぐあなたと私のための短歌」(大塚製薬「エクエル(EQUELLE)」)