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2022.10.10 展覧会アーカイブ, 同時代ギャラリー展示, 企画展, Exhibitions

Try to go over (t)here ~2002→2021, and new~

Try to go over (t)here ~2002→2021, and new~

2022.10.10 (mon) – 10.16 (sun)

12:00-19:00(最終日は17:00まで)

【同時代ギャラリー企画展】Try to go over (t)here 〜2002→2021, and new〜

今週のギャラリーは、企画展として、田中幹人さんの写真展「Try to go over (t)here ~2002→2021, and new~」を開催しています。

「Try to go over there」シリーズを撮り始め20年。今年は旧作から新作を厳選して展示しています。

田中さん自らが「あぶない所」に行き、ポーズをとったり、飛んだりした瞬間を信頼のおける田中さんの知人にシャッターを切ってもらう、作品としても、特に(田中さんの)身体的にも挑戦的なシリーズです。

撮影に使っている道具も展示しています。

水面に直線に立っている(飛んでいるともいうかもしれません)作品や、これどこなんだろう?と思わせる作品が並び、1点1点に「ワクワクする気持ち」と不思議であることが「お洒落」と観客に感じさせる作風が、人気の秘密なのかもしれません。

ちなみにタイトルに(t)と付いているのは、昨年フランスの雑誌「POP EYE」にて取り上げられた際、なぜか「t」だけ抜けていたところから来ています。この雑誌は実際に会場でご覧いただけます。

また、今回、20年の節目に写真集を製作されました。これもまたおしゃれで重厚感のある仕上がりになっています。

皆様のお越しをお待ちしております。

あらゆるものがデジタル化可能な社会の中で、私が表現したいのは<アナログだからこそ生まれる感覚>。そこにはアナログな行為をした者だけが得られる主体的感覚と、偶然の美しさ、理屈ではない面白さ、受け入れ難い驚きに出会う客観的感覚がある。その感覚は決してノスタルジーではなく、未来を紡ぐ“何か”の種なのだ。

ロケーションは、「もしあそこに人が居たら」と妄想すると、胸が高鳴るような場所。例えば仰ぎ見るほどの高さの建築物や水面から突き出た杭であり、私は自ら被写体となって、その上、時にはそこから落ちている最中にポーズをとる。一見危険な写真だが、制作の原動力はスリルではなく、妄想を現実にしたいという純粋な欲求である。実は、このシリーズを開始する前は、その妄想の中での人物は「私」である必要はなく、イメージを具現化するために「誰か」がいてくれれば良かったのだが、結局私は自ら被写体となることにしたのだ。<アナログだからこそ生まれる感覚>を誰よりも先に味わいたくなったからだ。

しかし鑑賞者は被写体が作者自身であることを知ると、作品を「セルフ・ポートレイト」の一種であるとみなす。美術史上、数多の芸術家がセルフ・ポートレイトを残しているが、それらには強烈なメッセージが込められてきた。例えば自身を抑圧する社会を告発する、弱者に扮して諸問題を提起する、名画や著名人に扮してイメージを解体する…等々。だが私はといえば。<アナログだからこそ生まれる感覚>———そこにいる私からしか見えない光景を楽しみ、記憶の箱に「私だけの光景」を片付けて、いそいそと持ち帰っているだけなのだ。

そして鑑賞者が「ここから何が見えるのだろう」と興味を持った瞬間、「私だけの光景」は誰も見たことのない特別なものとなり、私はその光景を唯一見た特別な人となる。今や見たいと思えばなんでも見ることができる暮らしの中で、鑑賞者は「見ることができない」というもどかしさに少し戸惑い、新鮮な感覚に心地良ささえ感じるのではないだろうか。

また私の妄想――画、風景、イメージ――は、「世界中のどこか」であり、「人物(私)が写っていなくても美しい世界」である。目に留めもしないような場所であり、視点を変えれば目が離せないような場所である。作品制作過程の中で、そんな場所をみつけた時が一番幸せな瞬間である。影響を受けた写真家は多数存在するが、幼少期に強烈な印象を与えてくれた「ふしぎな絵」(安野光雅/福音館書店 ※)が、私の視点を育てる養分の1つであったことは記しておきたい。

撮影には6×7フィルムを用い、様々なセッティングを整えた後、信頼する人物にシャッターを任せる。フィルムは私がそこへ行ったという証拠でもある。その証拠をデータ化し、その画が持つ力を最大限に引き出す調整を行い、紙に印刷する。

アナログからデジタル、再びアナログで完成する過程は、「アナログ/デジタル双方が必須」の現在、「アナログから得る感覚を再認識」させ、「現実と妄想の間」に生まれた作品自体と重ね合わせることができる。とはいえ、作品から得る感覚は鑑賞者にお任せする。鑑賞者がそれを純粋に愉しみ、私や居合わせた人と共有することが最も大切だからだ。

 

※「ふしぎな絵」安野光雅/福音館書店(1971)…小人たちと建築物、構造物を描いた、だまし絵で構成される作品。