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1928ビルについて

京都市登録有形文化財

1928ビル

「1928ビル」は、昭和3年(1928年)に毎日新聞社京都支局として建設されました。設計は「関西建築界の父」ともいわれる武田五一によるもので、旧社章を象った星形の窓やバルコニー、正面入口のランプカバーや床のタイルなど、様々なデザインにアール・デコの影響が感じられます。その建築的な価値が認められ、1983年には京都市登録有形文化財に登録されました。

1998年には新聞社が移転し、建物の老朽化のため一時は解体の危機にさらされましたが、耐震改修や内装のリノベーションなどが行われ保存されることになりました。

現在ではレストランやアパレルショップ、ギャラリー、劇場が入るエンターテイメント施設となっています。創建当時の姿を残した現代的な雰囲気を味わえる歴史的建造物として、多くの方々に親しまれています。

現在は地下1F「アンデパンダン」1F「Human made 1928」2F「同時代ギャラリー」3F「ギア(GEAR)」といった飲食店やアパレルショップ、エンターテイメントなど多種多様な施設が入る複合ビルとなっています。

INDÉPENDANTS

B1F INDÉPENDANTS

INDÉPENDANTSは、長年廃墟同然だった地階を様々なアーティストたちが創建当時の姿に復元、新たなデザインが加わり誕生しました。豊富な料理やお酒、不定期でジャズや若手ミュージシャンのライブも楽しめます。

公式サイト
http://www.cafe-independants.com/

1F HUMANMADE 1928

3F GEAR

photo by Takako Kishi

3F GEAR

日本演劇史上初のロングラン公演回数3,000回を突破した人気のノンバーバル舞台『ギア-GEAR-』の専用劇場。言葉を一切使わず、表情や動きだけで物語を表現するのが大きな特徴で、大人から子ども、さらには海外からの観光客まで幅広く楽しむことができるエンターテイメントとして、各方面より注目を集めています。超至近距離で体感するマイム・ブレイクダンス・マジック・ジャグリングの超絶パフォーマンスや、プロジェクションマッピング等の最新技術を駆使したド派手な演出も必見です!

公式サイト
https://www.gear.ac/

アーティストによる看板・モニュメント制作について

同時代ギャラリーで作品を発表する作家のアイデアや技術が様々なところにいかされています。ビルにお越しの際は、あわせてぜひご覧ください。

アンデパンダン看板

アンデパンダン看板

作家:熊田 悠夢 / KUMADA Yumu

https://www.dohjidai.com/gallery/ artist/kumadayumu/

1928ビルモニュメントおよび各種サイン

photo by Kazuki Takada

1928ビルモニュメントおよび各種サイン

作家:若林 亮 / WAKABAYASHI Ryo

https://www.dohjidai.com/gallery/ artist/wakabayashiryo/

【モニュメント制作意図】
1928の数字をデザインし、ビルの「看板」と「モニュメント」の両方の役割を担うことを意識した。他にも1928年造のビルに違和感なく溶け込み、建設当時から共に時間を過ごしてきたかのように存在させること。しかし古くなりすぎないグラフィックにすること。錆びる鉄を素材とし、自然に経年変化させることでビルと調和させると同時に、これからの時の経過を視覚的に見せること。本体を板状のものにすることで鉄でありながらその物量感を軽減し、ビルの前で主張しすぎないようにすること等を意識した。(若林亮)

フロアサイン

フロア案内

フロアサイン

御幸町通入口の看板

1928ビルと河井寛次郎

1928ビルには、陶工・河井寛次郎と所縁もあります。

河井寛次郎記念館 学芸員・鷺珠江様(河井寛次郎のお孫様)によると、このビルの竣工年にいわゆる杮落しとして、ビルの一画で河井寛次郎の展覧会が開かれたのだそうです。当時の様子は新聞にも取り上げられました。その時の新聞掲載記事と展覧会の様子を撮影したお写真を、鷺様のご許可をいただき特別に掲載させていただきます。

名作に見入る陶器を愛する人
一堂に集められる河井氏の作品
並べられている陶器①
並べられている陶器②
並べられている陶器③
並べられている陶器④
並べられている陶器⑤
並べられている陶器⑥

また、民藝運動の中心人物である柳宗悦や木工・漆芸家の黒田辰秋など、関係者らとこのビルに集まり工芸に関する座談会も行われていたそうです。河井寛次郎は、当時の毎日新聞社の京都支局長であり、民藝運動の協力な支援者でもあった岩井武俊氏との交流が深かったようで、それ故にこのビルとも繋がりがあったということです。

工藝界はどこに進む?工藝座談會
座談会の様子

座談会の様子

昭和3年12月毎日 京都市局でのい座談

写っている人物について

鷺珠江様とのご縁から思いがけずこのような事実がわかり、驚くと同時に静かな感動が湧き上がりました。

河井寛次郎記念館では、河井寛次郎の当時の住まいや仕事場をそのまま残し一般に公開されています。河井寛次郎の当時の暮らしや仕事場の雰囲気、調度品や愛用品、作品を一度に味わうことのできるすばらしい施設です。静かで心が落ち着くような空間です。ぜひ一度訪れてみてください。

河井寛次郎記念館 公式ウェブサイト http://www.kanjiro.jp/

1928ビル 当時の様子

1928ビルの当時の様子をご紹介します。
このお写真は、旧毎日新聞京都支局長・岩井武俊様のお孫様である岩井章様からご提供いただきました。
岩井様は河井寛次郎記念館 学芸員・鷺様と親しくされており、今回ご縁をいただきました。岩井様、鷺様 誠にありがとうございました。

旧毎日新聞京都支局(旧大毎会館)の様子

旧毎日新聞京都支局(旧大毎会館)の様子
提供:岩井章様

1998年4月12日京都府知事選投開票日。提供:毎日新聞社 撮影:中山和弘氏

1998年4月12日京都府知事選投開票日
提供:毎日新聞社 撮影:中山和弘氏

【特別インタビュー】建築家・若林広幸 様「1928ビルについて」

1928ビルのオーナーであられた建築家・若林広幸先生にインタビューをさせていただきました。同時代ギャラリーのアイデンティティともいえる〈1928ビル〉について、ビルオーナーとなられた当時の状況や改修のエピソードなど様々なお話をお伺いしました。建築好きな方や1928ビルに訪れたことのある方はもちろん、まだ訪れたことがない方にとっても興味深い内容となっています。

同時代ギャラリー 高尚赫(左) 建築家 若林広幸先生(右)

座談会の様子

【若林 広幸 / Wakabayashi Hiroyuki】
1949年京都市生まれ。プロダクトデザイナー・建築家。
1967年、インハウスデザイナーとして(株)たち吉入社。1972年に独立、インテリアの設計事務所を自営。その間に我流で建築設計を修得。1982年 (株)若林広幸建築研究所設立。

― 若林先生は1999年(平成11年)に1928ビル(旧毎日新聞社京都支局ビル)のオーナーとなられましたが、当時の三条通界隈はどのような雰囲気でしたか?

三条通は、明治期のレンガ造の建築等が多いんですけれども、当時は三条通がメインストリートだったんですね。だからオシャレでしょ。銀行とか公共の建物がいっぱい建っていた。それが時代とともに変わってきました。僕らがあの辺に出入りしていた頃っていうのは、あれだけ良い建物が残っているにもかかわらず、観光客などがくるような雰囲気ではなかったですね。お店とか、人通りが少ない。東京なんかだと多分取り合いになっているような場所なんだけれども、あんまり着目されてなかったような気がします。

僕が建築をはじめた頃に、このビルの3Fホールで講演があったんです。今はギアの劇場になっている場所ですね。そこへ講演を聞きに行って、中を見た瞬間に感動したんですね。「うわ、こんなすごい建物が京都にあったんや」と。それまでは、中へ入ることってなかったわけですよ。なかなか一般の方が見に行ける機会はなかった。

当時の3Fホール

当時の3Fホール

それからはビルの横を通るたびに、「あーここ良い建物だったな。アーチ上の吹き抜け空間があって・・・」と思っていたんです。それがまさか、僕のところへ、このビルを買ってくれないかみたいな話がくるとは思ってもいなかったんですが、友人の伝手で手に入る事になりました。

― どのようないきさつで、ビルの売却の話を知り購入することになったのでしょうか?

毎日新聞社がまだこのビルの中にあった頃に、1Fでは同時代ギャラリーがテナントとして入っていたんですね。1Fにギャラリーが出来て3、4年目の頃かな?毎日新聞社がギャラリーに、出て行ってほしいという話を持ちかけてきたんですよ。ビルを改築しようと思ったけれども、ものすごくお金がかかるという理由からでした。4億か5億かかるということで「いやそんなに出せないからつぶしましょう」ということで新築案が浮上したのですが、そのような状況の中で、ある時、たまたま同時代ギャラリーで僕の友人が展覧会を開催していて、そのオープニングに訪れたんです。そこで何人かの親しい友人らを通じて、このビルが売却される話を知りました。その時はめちゃくちゃお酒を飲んで酔っぱらっていたこともあっていきおいで「じゃあ僕が買いましょう!」となったんですね(笑)それから銀行と交渉したり、当時持っていた別の建築を売却したりなどして、購入に至ったわけなんです。

3Fホールに移転された若林先生の事務所

3Fホールに移転された若林先生の事務所

― それから、本格的にビルの改修を進められたんですね。

買ったまではよかったですが70才の建築です。いっぱい傷んでるところがあってね。改修するのに、当初の予算の倍くらいかかりました。

1928ビルのエピソード

やっぱり一番面白いと思ったのは最上階の空間。これ、なんか使えるね。展覧会もできるし、講演会とか貸しホールにもできる。それから地下が面白かったね。

改修に伴ってオープンしたB1Fアンデパンダン

改修に伴ってオープンしたB1Fアンデパンダン

じつは地下は膝まで水が浸かっていました。建築会社の人が来て、色々調査して「これを直すだけで1億かかる」と言われましたね。大規模な改修工事が必要だという話があがる中、うちの所員と現場を見に行ったんです。壁から地下に向かって伸びてる配管があって、それをカンカンカンカン叩きながらチェックしてみると、その関係で詰まってるものが抜けたのか「ボン!ゴオーッ!」といって水がズーっと引いちゃった。奇跡的にわずか2分か3分で1億円がチャラになりました(笑)

地下には創建当時の壁画がありますね。聞いた話では、進駐軍に占拠された時代があって、バーやダンスホールになっていたことがあったと。この壁画も、絵の好きなやつが落書きしたんでしょうかね。多分アメリカ人やと思うんですけどね。

当時のままの壁画

当時のままの壁画

竣工した時のままのタイルが貼ってあったり、そういう痕跡が重層的に積み重なって出来てる空間。普通やったら全部白に塗り直したりするじゃないですか。そういうことをせずに、めくったらめくったまま、そこにそのままにしてあるから面白い。

― このアンデパンダンの天窓は、元からあったものなのでしょうか?

御幸町通りに面した天窓

御幸町通りに面した天窓

元々はなかったですね。地下が道路から見えてるよね。光があそこから漏れて、ツタや観葉植物が良く育った。まるで100年くらい前からおるような顔してるね。

天窓の光で成長した観葉植物たち

天窓の光で成長した観葉植物たち

ビルの外観も当時は小洒落た色じゃなくて、汚い黄ねずみ色みたいな、何か汚らしい色だった。何回か塗り直しもされていて、ピンクだった時代もあったみたい。めくっていくと色が出てくるんですよ。お金がないのか、めんどくさいのか、元々梁と壁とで材質が異なる部分をスプレーで一色に塗ってあったりもして。なので、できるだけ元のイメージに近い色味に戻そうと考えました。窓枠の色も、この時代のものは緑色とかグレーが主流でしたね。

今ギャラリーがある場所(2階)は新聞社の事務室、編集室で、昔は皆あそこで仕事をやっていたんですよね。

当時の2F室内

当時の2F室内

1928年にまつわるお話

― 1928ビルという名称は先生がつけられたんですか?

僕がつけました。1928年竣工でしょう。

― 1928年・・・今から92年前に建てられたんですね。

面白いなと思うのが、1928年っていうのは、じつは世界恐慌の前年なんですよ。1929年 世界恐慌。日本では1927年〜1930年頃に昭和恐慌などの経済恐慌が起こっていますね。正確には覚えていませんが、1928年に、この場所にこのビルを建てるのに半年かかってないそうなんですよ。ニューヨークのエンパイアステートビル、あれも1929年頃に竣工なんですが、1年半くらいで建っている。何故そんなに早く出来たのか。当時は失業者が山ほどいて、危険な仕事でも家族のためならやりますという人がたくさんいたんですね。 何が言いたいかっていうと、1929年世界恐慌の時に、まさに今と一緒なんですよ。今はコロナウイルスで、世界の経済が疲弊してしまって、とんでもない状況にあるわけでしょう。経済はがたがたで。1929年アメリカがそんなことでダメになっちゃって、とくにヨーロッパを中心に世界中がだめになって、やがて第二次大戦に突入していく。その一番苦しい時にあのビルは建ったんですよ。そう考えると今のこの苦しみは、歴史のくり返しですね。

もうひとつは、昭和天皇のご大典。1928年に昭和天皇がご大典をされるということで、お祝いの意味も込めた建物として、1928年には完成、竣工せよとの命令で建てられたんですね。ビルの3階にバルコニーがあります。あの独特な形は毎日新聞社の記章がモチーフとなっているんですが、じつは昭和天皇のご大典を祝うステージでもあったんです。実際に天皇がお立ちにはなってはないんですが。短い時間で建ったというのはそういう訳もあるんですね。

3Fバルコニー

3Fバルコニー

― ちょうど一年前の2019年に、ビルが再び改装されて再スタートしたのですが、偶然にもその年の5月に天皇のご即位。。。不思議なことに、同じような歴史が繰り返されていますね。

このビルが色々と世界の歴史に飲み込まれながらつぶされずにこの場所に残っているのは、すごい良いことですよね。そもそも僕がその友達の展覧会を見に行かなかったら、お酒を飲み過ぎてなかったら・・・もう全部つぶされてなかったかもしれないですね。

― 三条通界隈の文化情報発信拠点にしようという目的もあって1928ビルを改修されたと思いますが、改修した後で街の様子は何か変わりましたか?

1928ビルにひきずられて、大きく変わっちゃったんですよ。三条通りがね。このビルが新しくなって、少ししたら新風館が出来て、西と東が繋がるようになった。三条通りにある予備校の学生なんかも三条通りをわざわざ通って帰るようになって、それから色々とショップやレストランが出来てきたからね。今迄は何もなかったから、横道それたり、大回りして四条通り通ったりしてね。

― 1928ビルが出来たことがきっかけで西と東が繋がるようになって、人が集まるようになったんですね。

手業が残る建物の魅力

― 現代の建物にはない、1928ビルの魅力とは何でしょうか?

今の建築って、工業化されたパーツで作られているでしょう。たしかにきれいで、正確なものが作られるんだけれども、何か物足りないものがあって。やっぱりこの時代のものっていうのは全部職人の手作りなので、どうしてもまっすぐにしようとしていることが実はゆがんでいる。その歪み、揺らぎとかいうものが、やっぱり人間の心の奥にほっとした感覚を出しているんですね。ほっとさせるエネルギーみたいなものが今の建築にないものだと思う。そう言う意味ではこの1928ビルっていうのは非常に貴重ですね。例えば、階段の手すりは、モルタルで塗ってあるんだけれども、手作りですね。砥石でけずってね。窓のサッシも、今みたいにものすごく高速で作業ができないから「今日は1日掛かってこれだけ出来たわ」みたいなね。それらは、ひずんでるんだけれども、ひずんでるが故に何か懐かしいものを感じさせる。

階段 木枠の窓 格子窓

僕は「揺らぎ」と言っているけれども、ガラスが1番わかりやすい。ガラスって透明で、より大きいものを作ろうと皆がんばって考えて来たわけですよ。吹きガラスって吹いて作るけど、大きいものを作るには限界があるでしょ。ところが、フロートガラスといって錫の上に溶かしたガラスを流すと、比重の関係で浮くんですよ。溶けた錫の上に溶けたガラスがのっかる。そうすると水平にビシーッと出来て、冷まして、カットすれば、全くひずみのない真っ直ぐなガラスが出来る。50年、60年前の数寄屋の建物なんか見ると、ガラスってこうゆらゆらゆらと、向こうの景色が揺らいでいる。だけどあれが良いじゃないですか。あれがあることによって、建築そのものが活き活きしてくる。あれがないと同じ図面で、同じ建築をつくっても、全く違うものになる。例えばル・コルビジュエの時代で漆喰を一生懸命塗って作ったものと、現代で吹き付けでバーッと作ったもの。離れてみたら全く同じに見えるんだけれども、そこにある、持っているパワー、エネルギーみたいなものが違うなと。

― 1928ビルはそういった手業の宝庫ですね。

だから、そういったアーティストの仕事、最近はアーティストも必ずしも手書きとは限らないけれど、人の手による作品を発表する場として、同時代ギャラリーはふさわしいんじゃないかと。手業が残るギャラリーですね。こういう手作りのものっていうのは、もうつぶしたら二度と出来ないからね。だからつぶさない、たとえ何があってもつぶさないように。

同時代ギャラリー

― 『歴史と手業が積み重なった建築と、人の手による作品や表現世界が相まって同時代ギャラリーが出来ている』 そのことを改めて実感するようなお話でした。
若林先生、誠にありがとうございました。

(編集・同時代ギャラリー 浜野志織)