Language(About page translation)

language
Exhibition

展覧会情報

貴志在介 solo exhibition

貴志在介

場所: ギャラリー
会期: 2019-02-26(火) ~ 2019-03-10(日)
時間: 12:00-19:00(最終日は17:00まで)
※3月4日(月)休廊
※3月9日(土)18:00-20:00 Closing Party
細やかなパーティではございますが、どなたさまでもご自由にご参加ください。

画像をクリックいただくと、拡大表示されます。

展覧会内容

「メメントからモメントへ」
「メメント・モリ」
「忘れ去られる者たち」
「モメントからメメントへ」

_世界をどう思考するか、そもそも世界のなかで思考する人間をどう捉えるか… 人間は少なからずこの問いについて考えてきました。わたしたちがそれを知ろうとするとき、この世界から突き付けられる「現実」というオートマティズム的な無情かつ無意識的で偶発的に見えるものに身を委ねざるを得ないことを知ることになります。そのような意味では現実とはわたしたちの無力さを自覚させてくれるものでもあります。また、自覚しながらも科せられる現実を乗り越えなければならないわたしたちの「かくあるべき人間像」とはなにかを考えさせてくれるものも現実といえます。
_そもそもわたしたちの「かくあるべき人間像」とはどのようなことでしょうか。それを考えるために今展では、わたしたちがこの世界のなかに存在し社会をつくり生活を営むなかで、わたしたちが避けては通れない事柄を4つのセクターで提示します。4つのセクターのテーマは「世俗」「他者」「死」「自然」です。
_わたしたちはこの世界のなかで社会をつくり上げてきました。時代が進み、今日では人間それ自体が世界概念を覆ってしまうかのような人間を中心とした世界像をつくり上げてきたともいえます。資本主義によって生活が便利になる一方で、この世界では富者が絶対的な権力を持ち、格差は蔓延し、住処を追われる人、戦地から逃れる人、またその排除を促すポピュリズムと全体主義が予兆される世の中にベクトルが向いているといっても過言ではないでしょう。また、それを知る術が増え、わたしたちはいつでもどこでもコミュニケーションが取れる時代になったことで、これまで理想とされてきた人間像の限界、わたしたちの「かくあるべき人間像」を再構築しなければならないような時代にきているといえます。
_今展のテーマの一つに、わたしたちは知らぬ間にわたしたちの思考やモラルまでもがユビキタス社会のもとで組織的に支配されている、言い換えるとオートマティズム的なのではないか、そのような世俗に関しての問いを一つのテーマとしています。そして、そのような情報過多の社会では情報を瞬間的に処理していかねばならなく、その反動としてわたしたちは常に忘れ去られる存在としてこの場所に立っているような気がします。それはオートマティズムとして、機械的な運動を求め、誰かが欠けても世界は成り立つように組織さされていると考えられます。しかし、出会ったことの有無に関わらず、わたしたちは必ずといっていいほど一人一人が相関しているはずでありながら、決してその一人一人のことを思い考える余裕などありません。相関がなければ他者が存在しないのと同じように、他者がいるということを知るのであれば、そこには相関性があり、わたしも他者の一人であることがわかるはずです。忘れられる存在とは個人レベルでの忘却ではなく、社会から忘却されうる存在であるということです。社会は常に不要な存在者をつくり上げると同時に社会的合理性を求めます。そこにどのような未来像があるのでしょうか。
_また、忘却される存在だとすれば、外圧によってもたらされる死を想像しなければなりません。作品のメメント・モリ(死を想え)では、身近な存在と絶対的な存在の死をテーマにしています。どれほど絶対的な存在であろうと必ず死が待ち受けています。肉体の死とともに、その概念自体も死へと追いやられる、それは神の死と同様のことです。また、レヴィナスの立場を借りると、他者は絶対的な否定者として成り立ちます。それは存在自体をも抹消してしまうように、わたしたちがつくり上げた社会とはあまりにも無情なように思えて仕方ありません。
_そしてわたしたち人間がどれだけの富を築こうが自然の前では無力に近いと言えます。自然の驚異の恐ろしいところは、決して意識的に起こるわけではないところです。しかし偶然的なものでもないのです。ですから、自然の驚異を引き起こす世界自体からすれば人間社会のことなどなにも考えてはくれません。しかし、わたしたちからすれば確実にその世界を意識せざるを得ないと言えます。だから故に、わたしたちは自然とどう共生し、かくあるべき人間像を思考していくかが問われている時代ではないのでしょうか。
_以上のように今展では、わたしたちが確実に直面している、またはするであろう現実とはなにか、という問いの試みです。現実とは決して後戻りできない過去の痕跡が堆積化したものだとすれば、確実とまでは言えませんが、どの方向へ進むべきかが見えてくるかもしれません。それには、その堆積したものやその痕跡から考えざるを得ないと言えます。そもそも現実とはわたしたちからすれば予測不可能であり、予想もしなかったことが起きるからこそ現実と言えます。わたしたちはいつ何が起こってもおかしくない世の中で生きているのです。崩壊へのプロセスは積み上がったものがあって初めて現れるものです。だからこそ、私たちはそのプロセスを意識化し、ないことにしないためにはここに漂う“今この瞬間(モメント)”というものに形(メメント)を与えていくことが非常に大切になってきます。

アーティスト詳細

貴志 在介/KISHI Arisuke

1983 京都府に生まれる
2008 京都精華大学卒業
個展
2013 貴志在介~言の葉いずる表情者たち~/ギャラリー自由空間
2015 KISHI Arisuke Solo exhibition -The tribe-/同時代ギャラリー
___貴志在介 -uneven- 展/京都ギャラリー悠玄
2017 貴志在介写真展-だーれだ。- /ART FORUM JARFO
Metamorphose -この醜くも美しい世界- /同時代ギャラリー
公募展・グループ展歴
LINK展/京都市美術館(2004~2017年まで毎年出品)
京展 彫刻部門(2005、07、09、13、17)、版画部門(2013)
EAST-WEST ART AWARD2015/La Galeria/ロンドン(2015)
DIESEL LIVINGINSTALLATION THE WALL by GENETO Architect’s/東京渋谷DIESEL(2017)
第4回藝文京展/京都芸術センター(2018)